宮城県仙台市青葉区土樋 曹洞宗 大蔵山 松源寺

お知らせ

2022.07.01
お知らせ

令和4年 7月挨拶

今月は7日に仙台七夕。10日は仙台空襲の日を迎えます。昭和20年(1945)7月9日、アメリカ陸軍航空軍第20航空軍所属の第58爆撃飛行団に出撃命令が出され、日本時間の16時3分、B-29がテニアン西飛行場を出撃し123機が仙台上空に到達した。空襲は7月10日になって始まった。空襲開始時刻は0時3分頃で、爆撃飛行団は高度約10,000フィート(約3,000メートル)より、2、3機から5機くらいの編成で25波に分かれ、仙台市内を約2時間にわたって空襲した。焼夷弾10,961発による絨毯爆撃と高性能爆弾8個により、仙台市中心部は焦土と化した。アメリカ軍は焼夷弾の投下目標となる中心点を事前に撮影した空中写真上に定めていて、この座標は新伝馬町と東三番丁の交点に相当した。
7月中に仙台市役所の防衛課がまとめた調査報告によると、被災戸数は1万1933戸、被災人口は5万7321人、死者は987人、重傷者は260人、軽症者は1423人、行方不明者は50人だった。仙台空襲による犠牲者は1064人、犠牲になったと推測される身元不明者や行方不明者など335人がいたと記している。ただし、この犠牲者数には7月10日以後に行われた銃爆撃による犠牲者数名も含まれている。
この様な戦争による犠牲があったことを記憶し後世に伝えるべく、毎年防災訓練をこの日に行っている。今年は日曜日に当たり多くの方々にご参加頂ける事と考えている。